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国際結婚情報
国際結婚のよい点は二つの国に住めること!
東京在住の日系アメリカ人、J.J.・ヴィカーズとるり子さん夫婦は、1989年日本ではよくある出会いをした。J.J.は英語教師で、るり子さんは彼の生徒。「そこまでは典型的な出会いといえますね。私がミュージシャンであり、彼女が16歳のロックン・ローラーであることを除けば。私たちはここから普通のカップルとは違う道をたどりました。私たちの交際は途絶え、私はアメリカに戻ってしまいました。それから数年後、彼女は私を探し出し、訪ねてきたのです」。二人はこれまで仲のよい友達だったが、るり子さんがシンシナティへ来たときに恋のスイッチが入った。そして二人は1999年にケンタッキーで結婚した。
しかし、二人の本当の冒険はシンシナティに住んでいるときに始まった。「私は父親のスイングバンドでベースを弾きながら、コックのアルバイトをしていました」と、J.J.は思い起こす。「スイングはすたれて、たくさんのミュージシャンが職を失いました。どちらにしても私はそれに興味をなくし、私も彼女もシンシナティに留まりたくありませんでした。そこで、私たちは財産――猫を含め――をまとめ、バンに積み込み、テキサス州オースティンへ向かいました。そこに落ち着き、私は初めてのソロアルバムを出しました」。
しかし、インターネットバブルがはじけると、地元の経済も崩壊した。るり子さんとJ.J.は、フェニックスに移る決心をし、ラスベガスに引っ越すまでの間彼はそこで働いた。「彼女はジャパニーズ居酒屋で働いていましたが、私はブルースラウンジや他のクラブで、夜に演奏しました。でも、彼女の母親が重い病気をわずらい、るり子は日本へ帰りたがりました。ですからそうしたのです」。と、J.J.は説明する。
「彼女は、母親と祖母、特に母親とは定期的に話していましたが、父親とはあまり話していませんでした」。とJ.J.は言う。「父親は確かに社交的な性格ではありません。そこで、私たちは日本に帰ることを決めました。彼女は母親に、誰がこのことを父親と祖母に告げるのかを聞きました。そのころ母親は脳腫瘍があり、彼女の判断はかなり怪しいものでした」。
「ある夜、父親が仕事から帰宅し、夕食の食卓につき、ビールはどこかと母親に聞くと、今晩は娘と婿を迎えに駅へ行ってもらわなければならないので、飲んではだめだと言われました。言うまでもなく、彼は腰を抜かすほど驚きました。私たちの帰国のことさえ知らなかったのです。そのとき私たちは成田に到着していました。祖母は私たちの滞在は数日間だと思っており、ずっと住むとは少しも考えていなかったのです。これが彼女の両親との最初の出会いでした。最初は少し辛いものがありましたが、今はすべてがすばらしいです。ずうっとここに住んでいたような感じです」。
「国際結婚のよい点は二つの国に住めること」とJ.J.は強調する。面白いことに、結構お互いに強い個性をもっている。「私たちは二人ともがんこなんです。何かをし始めると、もう議論はしません」と、J.J.は言う。「根本的な違いでいちばん大きなことは、お互いの人生観です。彼女は自分を環境の犠牲者とみていて、与えられた人生を受け入れます。私はまったく違います。自分の人生は自分で作るものです。自分の考え、行動、習慣が経験となります。この世の中には犠牲者なんていないと、私は思います」。




